坂本龍馬さんというと、何をした方なのかわからない方もいらっしゃると思います。天下も取っていませんし、芸術作品を残したわけでもありません。坂本龍馬さんが活躍した時期は江戸時代後期です。飢饉や大地震の中で飢えや生活が苦しさに苦しんでいました。外国からの圧力もあり、新しい時代を人々は求めていました。その流れを一つにした方です。坂本龍馬さんもたくさん歩いていました。
坂本龍馬さん
幼少期はとても体が弱く大変な泣き虫でした。しかし、高知という海と山に囲まれた土地でたくましい少年に成長しました。高知は太平洋と隣接しているので「海の向こうには何があるのか」と考えていらっしゃいました。続かないと思われていた剣術も上達していきました。そのころ、高知の方がひょんなことでアメリカの船に乗っていた方々が何十年ぶりに戻ってきました。その一人がジョン万次郎さんです。当時は罪に当たる航海をしていた方が堂々と戻ってきた様子を見て、少年時代の坂本龍馬は大変な影響を受けました。その後剣術のために江戸に行き、黒船を見ることとなります。鉄砲や鉄の船を見たときこれが「このまま剣術を極めても良いのか?」と考えるようになりました。
地球半周分
高知に戻ってから剣術教室を開く予定でしたが、当時禁止されていた脱藩をしました。世の中を変えるためでした。日本を変えるために日本中を駆け回りました。この距離がなんと地球半周分です。勝海舟さんと会い航海術を学びました。勝さんはアメリカで航海術をアメリカで学びました。そして日本で初めての会社を設立されました。藩というくくりにとらわれずに日本中飛び回ることが出来ました。そして当時仲が悪かった長州と薩摩を結びつける重要性に気が付き、仲をとりもちました。
明治維新に関わった方々はとにかくたくさん歩いていらっしゃいましたが、それは情報を得るためです。今のように情報が簡単に手に入る時代ではありませんから、実際に見て広めることがとても重要でした。
多くの人々と交流
坂本龍馬は多くの人々と交流しました。そのおかげで土佐の志士だった竜馬が九州の藩に行き信頼を得ることが出来たのは土佐(高知)の中にとどまらず日本中船も使いながら多くの人と知り合いになり、ステイタスを上げていったからです。最初脱藩したときは全身真っ黒で誰かわからないといわれていましたが、多くの人々の支えで脱藩直後を乗り越え活動しステイタスがあがりました。そして実力のある薩長の仲を結びつけることが出来ました。
メディアが発展した現代では歩くことが幕末志士たちのような意味とは違っています。しかし、現代においても実際に歩いて知った情報はとても大事なものです。筆者自身歩いているといろいろな人に出会います。家の中でも十分に情報を得ることが出来る時代かもしれません。しかし、知っている人とお話したりすることは大事なことだと感じます。また、歩くことでひらめくことも多くあります。
歩くことで新しい人脈や世界が広がっていくかもしれません。今日も健康に歩いて行きましょう(o^―^o)ニコ