お散歩【エリック・サティ】同じ道を歩くことで些細な変化に気が付けるようになる?

皆さんはお散歩コースやウォーキングコースなどはありますか?

いつも違う道を歩いている!同じ道は退屈するかも・・・という方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、同じ道を歩くことによって些細な変化に気が付くことが出来るようになるかもしれません。

エリック・サティ先生とは

エリックサティ先生という偉人をご存知でしょうか?フランスの作曲家です。「音楽界の異端児」「音楽界の変わり者」の異名で知られています。観客がサティの音楽を静かに聴いていると「これまで通りにしゃべって!」と観客に言ったといわれています。当時は音楽は作品として扱って静かに聞くものでした。現在でもBGMにぴったりなくらい静かで、また周りに溶け込む音楽ですよね。当時としてはそんな作風は「異端」だったのではないでしょうか?今ではヒーリングミュージックなど浸透していますから、最先端だったのですね。

『ジムノペディ 第一番』などは皆様も一度は聞いたことがあるのではないのでしょうか?聞いたことがない方はぜひ聞いてみてください。不思議でゆったりした曲に癒されると思います。

散歩の日常

サティはモンマントル地区という芸術家が集まる地域に住んでいらっしゃいましたが郊外に引っ越します。それから死ぬまでそこに住むことになります。ほとんど毎朝起きるともといた家まで10数キロありましたが歩いて通いました。途中ひいきにしていたカフェに立ちよりながら歩いたそうです。

パリに着くと、友人の家を訪ねたり、都合がつけばキャバレーで伴奏のお仕事をしてお小遣い稼ぎをしました。そういう仕事だったので夜遅くなることもありました。ときどき最終電車に乗り遅れていました。終電を逃してしまったらまた10数キロ歩いて帰宅したそうです。明け方に帰宅したときも日が昇るとパリに向けて歩き出しました

「毎日同じ景色を見ながら延々と往復していた」ことによってサティ独特のリズム感などが生まれたともいわれています。もしサティの残した音楽を聞いたことがない方はぜひ聞いてみてください(o^―^o)ニコサティは歩きながら思いついたことを時折止まってメモに残していた姿も目撃されています。あたりが暗い時は街灯の下でメモを残したそうです。

散歩のときサティはいつも同じ服を着ていました。傘を小脇に抱えスーツと山高帽を着ていました。(当時遺産をささやかにもらったお金でそれぞれ1ダース購入し、同じ服を着ていました)毎日その恰好で歩いていたので「ビロードの紳士」と呼ばれていたそうです。どのような格好でも散歩はできるのですね(o^―^o)ニコ

また、食通でした。食べることが大好きで一回の食事で卵30個使ったオムレツを食べたこともあるそうです。散歩することによって帳尻があっていたのかもしれませんね。

その後

サティは最期は肝臓が悪くなりなくなりました。あまりお金がなくその代わりにお酒を大量に飲んでいたそうです。とはいえ散歩の習慣のおかげで59歳まで生きられたのかもしれません。そして散歩することはインスピレーションを受けたりする効果も認められています。そして散歩は特別な服など揃えなくても行うことが出来ます。サティはビロードの服で行っていました。

サティは往復20キロという長距離を歩いていました。皆さんにとってちょうどよい距離を見つけて是非散歩を日常に取り入れてみてください!

今日も健康に歩きましょう(o^―^o)ニコ

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